淡水錦元棉被店

(〃 ̄ ̄ ̄ ̄(エ) ̄ ̄ ̄ ̄)大丈夫じゃない、問題だ( ̄ ̄ ̄ ̄(エ) ̄ ̄ ̄ ̄〃) 日本フレンドを見えるのかた(/ω\)ありがとうカニ

2018年12月10日 星期一

山口連続殺人放火事件(妄想型人格違常)


山口連続殺人放火事件


山口連続殺人放火事件(やまぐちれんぞくさつじんほうかじけん)とは、2013年7月21日に山口県周南市金峰(みたけ。旧鹿野町)で発生した、近隣に住む71歳から80歳までの高齢者5人が殺害された連続殺人・放火事件。犯人が村人からの傷害事件の被害者であったことなどが事件後にわかり、村八分が原因かと騒がれた。




山口連続殺人放火事件【保見光成】







保見光成は後に事件を起こす山口県周南市金峰郷(みたけごう)地区で、竹細工職人の父親の下、5人兄弟の末っ子として生まれた。
中学を卒業後は上京して神奈川県で左官などをして働いていた。
1994年頃に帰郷して、以後は実家に暮らしていた。

両親が亡くなってから、保見は近隣住民と飼い犬や草刈り作業などをめぐってトラブルを起こすようになる
一方で、高齢者ばかりの集落では若手の保見は周囲を手助けしたりもしており、感謝されてもいた。
トラブルの全ての原因が、必ずしも保見にあったわけではないようだ。
2003年頃には酒の席の口論がきっかけで、後に被害者となる男性に切りつけられたりもしている。

しかし、8世帯12人しかいない小さな集落の中で保見は徐々に孤立していった。
2011年には近隣警察署に「集落の中で孤立している」「近所の人に悪口を言われ、困っている」などと相談をしている。
保見は自宅の窓に『つけびして煙り喜ぶ田舎者 かつを』と書かれた張り紙も貼っている(事件直後は犯行声明とも思われていた)が、その意味は『集落の人達(田舎者)が自分の悪い噂を流して(つけびして)楽しんでいる』というものだった。
事件の10日ほど前には知人に「もう金峰を出ようかと思う」と打ち明けてもいた。

2013年7月21日の夕方から午後9時頃までの間に、保見は近隣の住宅2軒に相次いで侵入、70歳代の住人計3人を撲殺した後、家に放火した
直後、近隣住民の通報により消防や警察が現地に到着、犯行が発覚する。
警察の警戒の中、保見は翌22日の朝方にかけてまた別の住宅2軒に侵入、80歳代の住人計2人を撲殺した。
22日正午には遺体が発見され、警察は前日から行方の分からなかった保見の捜索を本格化。
残った住民は近隣施設に避難した。
同月26日、保見は地区公民館から約1km離れた山道で発見され、逮捕された。

http://mmfc.blog.shinobi.jp/mass/homi_k
逮捕後、保見はこの貼り紙について、担当弁護人に「〝つけびして〟は、集落内で自分の悪い噂を流すこと。〝田舎者〟は集落の人を指す。(紙を貼りだしたのは)周囲の人たちの反応を知りたかった。自分の中に抱え込んだ気持ちを知ってほしかった」と語った。
山口連続殺人放火事件【保見光成】
山口連続殺人放火事件【保見光成】
保見光成【山口連続殺人放火事件】
事件の背景
山口連続殺人放火事件【保見光成】
介護による帰郷
郷地区出身である男は、農林業を営む両親の次男として産まれ、中学卒業後上京し土建業に従事、30代のころからタイル職人として神奈川県川崎市で暮らしていたが、「自分の生まれたところで死にたい」と1994年に44歳で帰郷し、実家で両親の介護にあたった。川崎在住時は左官として働いており、帰郷した際には左官の技術を生かして自宅を建築し、地元のテレビ番組や新聞にも取り上げられるなどし、近隣の家の修繕などもしていたが、本人の難しい性格も災いして、両親と死別した後、地区住民とのトラブルが相次ぐようになった。
村八分の境遇
40代の頃、男は地区の「村おこし」を提案したが、地区住民はそれに反対し、あつれきを深めた。回覧板を受け取ることもなく、自治会活動にもほとんど参加していなかった。また自宅にマネキン人形や実際は作動しない監視カメラを設置したこともあった。また男は2011年1月ごろ、「集落の中で孤立している」「近所の人に悪口を言われ、困っている」として、周南署に相談していたことがわかった。近隣住民は男がそこまで追い詰められているとは思っていなかったという。精神安定剤の服用を始め、薬を飲んでいるから人を殺しても罪にならないなどの発言もしていたという。
農薬散布のトラブル
農薬の散布を巡っても、近所の住民とトラブルを引き起こしていた。家の裏で、勝手に農薬や除草剤をまかれたという。被害に遭った73歳女性の夫は周囲に不安を漏らしていた。
草刈り作業のトラブル
男は地区のあぜの草刈り作業にあたって、地域で一番若いという理由から、機械や燃料の費用などをすべて1人で負担させられた上に、地区住民が男の機械を草と一緒に燃やし、さらに機械を焼失させたことについての謝罪もないなどの仕打ちを受けていると、知人に漏らしていた。男が抗議すると、燃やした住民は「あれ? あんたのもんだったの?」と笑っていたという。
山口連続殺人放火事件【保見光成】
飼い犬をめぐるトラブル
男が飼い始めた犬(ラブラドール2匹)に対し、地区住民が「臭い」と苦情を言ってトラブルになり、住民に「血を見るぞ」「殺してやる」と大声を上げたこともあったという
保見容疑者が自宅で飼っていた犬が、26日午前9時6分に死んだ。保見容疑者が山中で身柄を確保された時間の1分後だった。25日、警察、周南市を通じて市内の動物愛護団体が保護。別の団体に預けられ、新たな飼い主を探すことになっていた。
過去の事件
2件の傷害事件と、1件の火災が過去に発生している。傷害については、今回の被害者が、男に危害を加えている。
2003年ごろの傷害事件。酒の席での口論がきっかけで、男が刺傷した。この時、加害者は傷害容疑で逮捕されて罰金刑を受けた。事件以降、2人が険悪な関係になったという。
もう1件の傷害事件は、時期が不明だが、男が物を投げられてケガを負っている。刑事事件には、なっていない。
火災は、2003年6月9日に発生。女性C(今回の事件の被害者)の家の倉庫に積まれていた薪が燃えてぼやが起こった。今回の事件との因果関係は不明。
事件をくぐり抜けた集落の住民はどうしている?
今回の事件では、郷集落の8世帯12人のうち5人が殺害された。そんな状況の中、集落の生き残りとなった人々は何を思い、どう暮らしているのか。集落の近隣に住む男性が言う。

「いまあの村に残っている人たちは、外に出る用事もないし、家の周辺で農作業や草刈りをしとるぐらいやな。彼らもこの事件をどう受け止めればいいのか、まだわからんのだと思う」

 事件後も郷集落の住民と会っているという人物は、彼らの心境についてこう話した。

「事件から1ヵ月経って、少しずつ住民たちも落ち着いてきているよ。いつまでも怖がってばかりもいられないしね。事件のことも、特に話題にしたりしない。それでも、これから自分たちがどうしていくのか、どうやってこの地域を守っていくのか、みんな心配しているみたいだ」

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36870?page=2
死刑を求刑
山口県周南市の5人殺害・放火事件(2013年)で、殺人罪などに問われた保見光成(ほみ・こうせい)被告(65)に対し、山口地検は2015年7月10日、山口地裁(大寄淳=おおより・じゅん=裁判長)であった裁判員裁判で死刑を求刑した。

保見被告は無罪を主張しているが、検察側は立証は十分であると反論したうえで「社会を震撼(しんかん)させた重大で凶悪な事案。

手口も極めて残忍かつ凄惨(せいさん)」と指摘した。判決は2015年7月28日。

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6166610
山口連続殺人放火事件【保見光成】
山口連続殺人放火事件【保見光成】
死刑判決
殺人と非現住建造物等放火の罪に問われた無職保見光成被告(65)の裁判員裁判の判決が2015年7月28日、山口地裁であり、大寄淳裁判長は求刑通り死刑を言い渡した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150728-00000081-jij-soci



https://matome.naver.jp/odai/2142413849702708301


------------------------------------------------------------------


保見光成

2013年7月21〜22日にかけて山口県周南市で起きた連続放火殺人事件の犯人。
8世帯12人しかいない小さな集落で近隣住人5人を殺害し、2軒に放火した。
事件後付近の山中に逃走したが、7月26日に逮捕された。
2015年7月に一審で死刑判決。

<概要>
保見光成は後に事件を起こす山口県周南市金峰郷(みたけごう)地区で、竹細工職人の父親の下、5人兄弟の末っ子として生まれた。
中学を卒業後は上京して神奈川県で左官などをして働いていた。
1994年頃に帰郷して、以後は実家に暮らしていた。

両親が亡くなってから、保見は近隣住民と飼い犬や草刈り作業などをめぐってトラブルを起こすようになる。
一方で、高齢者ばかりの集落では若手の保見は周囲を手助けしたりもしており、感謝されてもいた。
トラブルの全ての原因が、必ずしも保見にあったわけではないようだ。
2003年頃には酒の席の口論がきっかけで、後に被害者となる男性に切りつけられたりもしている。

しかし、8世帯12人しかいない小さな集落の中で保見は徐々に孤立していった。
2011年には近隣警察署に「集落の中で孤立している」「近所の人に悪口を言われ、困っている」などと相談をしている。
保見は自宅の窓に『つけびして煙り喜ぶ田舎者 かつを』と書かれた張り紙も貼っている(事件直後は犯行声明とも思われていた)が、その意味は『集落の人達(田舎者)が自分の悪い噂を流して(つけびして)楽しんでいる』というものだった。
事件の10日ほど前には知人に「もう金峰を出ようかと思う」と打ち明けてもいた。

2013年7月21日の夕方から午後9時頃までの間に、保見は近隣の住宅2軒に相次いで侵入、70歳代の住人計3人を撲殺した後、家に放火した。
直後、近隣住民の通報により消防や警察が現地に到着、犯行が発覚する。
警察の警戒の中、保見は翌22日の朝方にかけてまた別の住宅2軒に侵入、80歳代の住人計2人を撲殺した。
22日正午には遺体が発見され、警察は前日から行方の分からなかった保見の捜索を本格化。
残った住民は近隣施設に避難した。
同月26日、保見は地区公民館から約1km離れた山道で発見され、逮捕された。

2015年7月28日、一審(裁判員裁判)で死刑判決。
2016年9月13日、二審で控訴棄却。



http://mmfc.blog.shinobi.jp/mass/homi_k




沒有留言:

張貼留言