【相模原殺傷2年】明かせぬ実名、遺族のジレンマ 障害者への差別…消えぬ不安
相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で平成28年、入所者19人が刺殺されるなどした事件は26日で発生から2年になる。横浜地裁で昨年9月から争点を絞り込む公判前整理手続きに入っているが、殺人罪などで起訴された元職員の植松聖(さとし)被告(28)は「彼らは人ではない」などと犯行を正当化する主張を今も続けている。遺族らは日増しに募る喪失感にうちひしがれ、差別への懸念からいまだ実名を明かせないジレンマも抱えている。
「1日も娘のことを忘れたことはない」
当時26歳だった長女を失った50代の女性はそう語る。事件後に飾り始めた長女の写真は1枚、また1枚と増え、今では家のどこにいても長女の笑顔に触れられるようになった。
ぱっちりとした目が特徴的で、近所から「かわいいね」と言われることも多かった自慢の娘。1人で食事をしていると、時折「ソフトクリームが食べたいな」とせがむ声が聞こえてくるような気がする。「今も近くにいるんだね」。一瞬喜びも感じるが、娘がいない現実に引き戻されると、深い喪失感に襲われる。
事件をめぐっては、殺害された入所者19人の大半の実名が明らかになっていない。「知的障害者が家族であることが知られると、生活に影響が出かねない」などとして、遺族側が公表を認めていないためだ。
ただ、少しずつ前に進もうとしている遺族もいる。
兄を失った50代の女性は今年2月、事件を考えるシンポジウムに初めて参加した。事件後、サイレンの音も怖くなっていたという女性だが、再会した同じ被害者家族と話すうちに、心が少し軽くなった。
兄は言葉での意思疎通が困難で、写真や絵を通じて園の職員らとコミュニケーションを取っていた。物静かだが、他の入所者が転倒したりすると、必死に職員らに知らせたりする優しい心の持ち主だった。
そんな兄の存在を消したいわけではない。でも実名を明かすのは怖い。揺れる思いは今も変わらないが、少しずつでも事件に向き合おうとしている。「思いを共有できる人に会えてよかった」。シンポジウム後、そう話す女性の表情はいくぶん明るくなった。
先月、勾留中の植松聖被告と面会したある遺族の男性は、被告について「事件当時と何も変わっていなかった」と振り返る。植松被告は、多くの遺族らが実名を公表せず、口を閉ざしている現状について「結局は障害者が身内にいることを隠したいんだ」と本紙記者に語っていた。
「長い時間、社会からの差別を経験してきた。まだ心の準備ができていないだけだ」。女性は語気を強めた。(河野光汰)
【用語解説】相模原障害者施設殺傷事件
28年7月26日未明、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」(建て替え工事中)で、元職員の植松聖被告が複数の刃物で就寝中の入所者らを襲撃。入所者19人が刺殺され、職員を含む26人が重軽傷を負った。犠牲者19人は単独犯としては戦後最悪レベル。横浜地検は同年9月から鑑定留置を実施。人格障害の一つである「自己愛性パーソナリティー障害」などと診断された。その後、完全責任能力があったと判断され、29年2月に殺人など6つの罪で起訴された。
https://www.sankei.com/affairs/news/180721/afr1807210023-n1.html
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